一息入れて、僕はみなの喧騒から一歩はなれたところで、人々の話を聞くとはなしに聞いていた。
少し離れているのは、さまざまな話を聞くためでもあるし、さまざまな話を聞かないためでもある。
しばらく考えをまとめたかった。
あの後、度会さんや奈津美叔母、和江叔母にも話を聞いたが、特に新しい発見はなかった。
結局、肝心の会っていた理由についてはほとんどわからないままだった。
まあ、これはしかたない。
しかしそうすると、これ以上親族から聞きだせることは何もない。少なくとも、今のところは。
あとは外へ出て、気になったところをいくつか回るだけ。
…これでいいんだろうか?
ふと、思う。
なにしろ、聞き込みだの捜査だのはやったことがない、あたりまえだけど。
自分がどこまで進んでいるか、それとも進んでいないのか。それがわからないのは、かなりの不安だ。
まあ今回の場合、怪しいところをいくつか調べて体裁を整えるだけでもよいので、それは気が楽だけれど。
…僕が調べた「真相」とやらと、事実がもし違っていたら。
隠された事実とやらが、もし本当にあったとしたら。
その疑念が、心にずっと引っかかっている。
真相追求とみんなの望む結末は同じとは限らないのだから、これでいいのだけれど……
考えているうちに、向こうから度会さんがやってきた。
珍しく、やや不安げな顔をしている。
こちらが尋ねる前に、彼は口を開いた。
「孝宏さん。真哉くんがどこに行ったか、ご存じないですか?」
「真哉が?いや、見てないですが…」
真哉は、園村さんの息子だ。
この屋敷にも何度も遊びに来ていて、その間は自然と僕が面倒を見ることになっていた。まあ、弟みたいなものだ。
「園村さんは?」
「あんまり心配していないみたいですよ。『そのうちどこかからひょっこり顔を見せますよ』なんて言っていましたし。ただ、ひょっとしたらなにかあるといけないと思いまして。余計なおせっかいかもわかりませんが、万一のことを考えますと……」
度会さんが言葉を濁す。
確かに園村さんが言うとおりかもしれないが、あんなことのあったあとだ。度会さんの心配もわかる。
「わかりました。じゃあ、探しておきますね」
「ありがとうございます」
礼を言う度会さんと別れ、目指す場所へと歩き出した。
ちょうど一息入れたいところだったし、真哉の行きそうなところは大体見当がついている。
おおかた、退屈な葬儀から抜け出して遊んでいるんだろう。
だとしたら、たぶんあそこにいる。
通用口から、そっと抜け出す。取材陣がいたら面倒だと思ったけれど、こちらまではチェックしていないらしい。つまり、まだそこまでの大事にはなっていないということだろう。
いつもの場所、磐座の前の、大きな楠のご神木。
根元には、人が何人か入れそうなほど大きなうろがあって、小さいころはよくここで柚流と会っていた。
このあたりで、この家のもので、どこかに抜け出すとしたら。
大人はタブー視して近寄らない、あそこしかない。
…自分の考えに、やや不安になる。
皆がそう考えたとき、あそこは隠れ家では、安住の地ではなくなる。
そこを使うものが増えたとき、秘密はそのまま終わりを告げる。
ひとつ首を振り、階段を上る。
ちょっと先走りすぎだ。
そもそもあいつがあそこにいるかどうかもわからないのに。
やがて階段を上りきり、見慣れた神社の裏手に回る。
そこで僕は真哉を発見し、しばらく考え込んで。
携帯を取り出し、連絡を取る。
「柚流。今ちょっと出てこれるか?」
「何とか。でもどうしたの?」
「ちょっと、いろいろあってね。来てほしいんだ。今すぐに急いで、誰にも気づかれないように」
「難問だね」
電話の向こうで、ちょっと考え込んでいるのがわかる。
「いいよ、わかった。10分くらい待ってて」
「頼む」
電話を切ると、僕は問題のうろを覗き込み、小さくため息をついた。
「で、どうするこれ…」
「…起こすしかないんじゃない?」
いつもの場所の、大きな大きな楠の木の下。
根元にあいた、大人一人は入れそうな大きなうろ。
その中で眠りこける、小さなお姫様と王子様。
男の子は真哉で、女の子は…たしか七海ちゃん。芹沢の…柚流のいとこになるはずだ。
その二人が、かすかに寝息を立てている。
お互いに体を預けて、それは幸せそうに。
小さな手を握り合って、安心しきった表情で身を寄せ合って。
どこで会ったのかはわからなかったけれど、彼らが僕らと同じ状況なのはすぐにわかった。
一瞬、顔を見合わせて。くすくす笑う。
「私たちも、こんなのだったのかな?」
「どうだろ。僕なんか、もうちょっと扱いにくいガキだったような気がするけど」
「ほんとだよね」間髪いれずに柚流がうなずく。
「……そこは否定して欲しかった」
さて、このままほのぼのしているわけにも行かない。
「おーい、起きろー」
真哉のほうの肩をつかんで、軽くゆさぶる。
と、二人の目がちょっとだけ開いて、僕らの顔を見て、
次の瞬間、真哉は七海ちゃんをうしろにかばって、僕らをにらみつけた。
「大丈夫だって。なにもしないよ」
そういっても、彼らは警戒したままだ。
真哉の目が、僕の目を見据えている。何があっても、七海ちゃんだけは守ろうとする目。
あの頃の僕と同じだ。
奥に隠された七海ちゃんが、懸命に前へ出ようとしている。
もちろん、真哉をかばうために。
けれど、真哉の手がそれを許さない。
だから七海ちゃんも、僕らから視線をはずさない。
ここで引いてしまったら、何もかもなくなるとわかっているから。
「どうしたもんかな」
こみ上げる感情を抑えて、わざととぼけた声を出す。
真剣な声を出したら、なにかがこぼれてしまいそうだったから。
「……そういわれても」
柚流の、やや困ったような返事。
確かに、この状況で僕らを信じてもらうのは難しそうだ。
僕の子供の頃だって、たぶん信じはしなかった。
けれど、この二人を別れさせる気など、僕にも柚流にも、さらさらなかった。
「だいじょうぶ。なにも、しないから」
柚流は二人の説得を始めたけれど、二人は僕らをにらみつけたまま。
なにか衝撃を与えないと、警戒を解くのは無理のような気がする。
と、なれば。
「柚流」
声をかけて、
「なに?」
振り向いた彼女をそのまま抱き寄せて。
二人の目の前でキスをした。
二人の目がまん丸になって、それからすぐに興味津々の顔つきになった。
「これでわかった?」
僕の声に、何度も大きくうなずいている。
もうひとり、目をまん丸にしていた柚流は、頭から湯気を上げていた。
「…ちょっと教育上悪かったかな」
「ちょっとどころじゃないでしょ!」
「もっかい!もっかいちゅーして!」
さっきの警戒はどこへやら、二人とも目を輝かせている。
「だめだめ。柚流が怒ってるから」
「えー」「えー」
「だから、こんなことしてる場合じゃないでしょ!」
真っ赤になった柚流がかわいい。
すっかり緊張を解いた真哉が、聞いてきた。
「でも、どうして探しにきたの?」
「度会さんが心配してたからさ」
二人の笑いが、すっと凍りついた。
「あんなことがあったばかりだからさ。黙っていなくなったら、心配はすると思うよ」
なるべく怖がらせないように優しく言ってみたけど、緊張した空気は緩まなかった。
「どうやって、お互い抜け出したの?」
僕らの問いに、二人は黙って携帯を取り出した。
「やっぱり、今はみんな持ってるんだな」
「いつから?」柚流が、優しくたずねる。
「去年。夏ぐらいから」
「誰かに見つかったり、しなかった?」
「今までは、誰にも」二人の声が重なる。
「そっか。…ならいいんだ」
この二人のことだ。危険は十二分にわかっているだろうし、そんなへまはしないだろう。
「お姉ちゃんたちも、ここ使ってたの?」
「うん。昔はね。今はもう入れないから…」
そういって、木立に隠されたほうを指差す。
「そこのね、大きなお岩の上。あそこなら、誰からも見つからないでしょ?」
「……そんなとこ、あったっけ?」真哉が首をかしげた。
いつもここを使っているはずの真哉たちでさえこの調子なら、しばらくあの場所は誰にも見つかることはないだろう。少しだけ、胸をなでおろす。
「つかっちゃだめだよ。お姉ちゃんたちの場所なんだから」
柚流の言葉に、二人は素直にうなずいた。
「もうそろそろ戻ろうか?」
「もうちょっとなら大丈夫だよ。あんまり邪魔してやるのもなあ」
「そんなに時間は取れないよ。みんな心配してるだろうし」
「探すのに手間取ったって言えばいいだろ。……もう少し、一緒にいよう」
その言葉は、驚くほどすんなりと口から流れ出た。
僕らのこともそうだけど、真哉たち二人を、このまま別れさせたくはなかったのだ。
僕の言葉に、柚流はちょっとだけ目を見開いて、それからとても嬉しそうにうなずいた。
「真哉も七海ちゃんも、おいで。今日は特別」
そういって手招きすると、二人も小走りでついてきた。
顔一杯に、喜びと好奇心をあふれさせながら。
いつもの場所に腰を下ろす。
背中合わせでなくて、隣に、肩を寄せ合って。
足元で、真哉たちも同じ格好で岩にもたれかかっている。
肩を寄せ合う二組の恋人。
それはきっとほかから見ると、幸せの具現化したような光景だったのだろう。
今僕らが感じているように。
「もう少しだけでいいから、こうやって会えるといいのにね」
下の二人に聞こえないように、柚流が小さな声で言った。
「…できるかもしれないよ」
僕の言葉に、柚流が目を丸くする。
「どうやって?」
「今はまだ。でもすぐにわかるよ」
「…そうだとうれしいな」
はにかみながら、柚流が言った。
「あのふたり、見どころあるよな。真哉がちゃんと七海ちゃんをかばったのにはびっくりしたよ」
「なんとかしてあげたいよね」
「……できればね」
ため息が重なった。僕らでさえこの状況なのに、あの二人を何とかしてやる余裕など、あるはずがない。
それでも、あの二人を別れさせるようなことだけは、絶対にしたくなかった。
しばらく無言のままでいるうち、ふいに柚流がつぶやいた。
「こうしてると、夫婦みたいだよね」
少しだけ、顔を赤らめて。
「え?僕が奥さん?」
言いたいことはわかっていたけど、どうにも返事に困ったのでちょっとだけはずしてみる。
「そうじゃないでしょ!」
案の定、今度は真っ赤になって怒り出した。普段の冷徹さとまったく正反対の、すごくわかりやすい彼女の顔。それを見ていたくて、もう少しからかうつもりだったのだけれど。
「ほんとに、そうだよね」
思いがけない声がした。
いつのまにか、下に聞こえていたらしい。二人とも、とてもわくわくした表情でこちらを見守っている。
思わず体を離したけれど、二人はこれまでのやり取りでそれなりに満足したらしかった。
「じゃ、わたしもおよめさん!」
七海ちゃんが、しっかり真哉の手を握って、きっぱりと宣言する。
「ええ!?」
「…いやなの?」
不安そうな、七海ちゃんの声。
「いや、そんなことないけど…」
ちょっと戸惑った、真哉の声。
「いいんだよね?」
不安を吹き飛ばすような七海ちゃんの声と、
「…うん、わかった!いいよ、約束する!」
戸惑いを振り払って、しっかりうなずく真哉の声が、重なって。
「じゃ、ゆびきりしよっか」
小さな小指がふたつ、組み合わされて離れていった。
二人の様子に、思わず笑みがこぼれる。
確かに子供がいたら、こんな感じなのかもしれない。
やがて、どうにもごまかせなくなるぎりぎりの時間まで話をして。
名残惜しさを抑えながら、お互いに子供の手を引いて、石段をそれぞれ反対方向に下りていく。
見えるか見えないかの所まで進んでから、お互い振り返って、そっと手を振った。
こんな光景が日常になることを、願いながら。
霧の中で僕らは5「幼子たち」